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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『石の上に種を置く、風が吹けば飛んで了う、鳥が来て拾うて了う。生えやせん。心から真実蒔いた種は埋(おぼ)ってある。鍬(くわ)で掘り返やしても、そこで生えんや外(ほか)で生える。どんな事も濃い、浅い、甘い、これをよう聞き分けてくれ。』(M23.09.30 おさしづ〔神様のお言葉〕)
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『根に離れなんだら、どのような細い処からでも、どのように栄えるとも分からん。暫(しばら)く細(こま)かい道から通り、心一つの理である程に。』(M32.10.16 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『これまでの処、一名一人で道を通り来た。心の精神を定め。心精神道の理を以て世界という。神の道なら世界の道が無ければならん。治める道は精神一つの理に止(とど)まるという。………もう/\尽すうち不自由である、困るであろう。不自由は一つの事情、精神の定めやい。一つの精神の理で治めるなれば、火の中水の中でも治めさす。心締(し)まり一つの理は第一。火柱、水柱、悪の理上でも、精神一つの理で治まるという。』(M22.02.23 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『どんな山坂あるやら分からん。何程通してやろうと思えど、神一条の道を忘れては、山坂ころっと落ちにゃならん。この“やしきたすけやしき”といえど、めん/\の心の差違に重なれば、どんな災があるやら分からん。………知らず/\の道、分からず/\の道、みす/\の道ある。これ三つ出掛けたらどうもならん。………暗がりの道が見えてあるから諭さにゃならん。』(M24.07.24 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『身の不足“たんのう”なろうまい。世上の理を見て“たんのう”治まる。種がある。案じずして、じっとしているがよい。』(M24.07.21 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『心に掛かれば身に掛かる。………何か心に掛からんよう。身の処には不足無き、日々心に掛かれば日々遅れる。遅ればどうもならん。楽しみという理、心に掛かれば楽しみの理が薄くなる。』(M24.04.18 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『木は元やで、元は順々に芽が出る、栄える。………元というは、古きものは大切にすれば花が咲く。………古き元あればこそ大切。元無くてはならん。元というは、古きものが元、元より花咲く、実がのる。元あればこそ花咲く。』(M22.10.10 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『成るも“いんねん”成らんも“いんねん”。成ろうと言うて成らんが“いんねん”。しょうまいと思うても成るも“いんねん”と言う。そんだら信心せえでも、と思うなれど、よう聞き分け。今年に蒔いて今年に生える種もある。そのまゝ腐る種もある。一つの理を蒔くには、種と言うは、選って/\選んで、選って/\蒔けば、一つの理も生えると言う。』(M26.10.12 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『人間というは残らず神の子供。救からんやならん処の理より、救からん処の理を聞き分け。………変わるは一つの案じ、変わらんは一つの誠。』(M22.09.21 おさしづ〔神様のお言葉〕)
『思うよう成るも“いんねん”成らんも“いんねん”。………金銀力で行かんが“いんねん”という。これを聞き取って、一つの“いんねん”とは、世界見れば知らず/\通り、身の内に不足あって“たんのう”は出けまい。世上の理を見て、いかなる理、“たんのう”とは真の誠より。真の“たんのう”は真に受け取るという。』(M23.08.26 おさしづ〔神様のお言葉〕)


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