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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\放って置け/\。誰彼を仇(かたき)と言うのやない。大風々々、大風は何処にあるとも知れんもの。大風というものは、どのようの大きな物でも、倒(こ)ける潰(つぶ)れる。大風やで。風は神や。風が“かりもの”無(の)うては、箱に物を入れて蓋(ふた)を閉め切りた如く、腐ろうより仕様の無いもの。風がそよ/\あるので、半日や一日は送れるで。………』(M20.03.22 おさしづ〔神様のお言葉〕)



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『………暖かいと思えば寒い、寒いと思えば暖かい、曇ると思えば晴天、晴天と思えば曇る。自由用の理分からんからどんならん。我がさえよくばよいという心があるから、こういう理になりてくる。どうでもこうでも人間の心では行かんで/\。………』(M30.11.13 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………最初拵(こしら)えた道具は、どういう道具で、拵えた道具や。神がちゃんと見分けて、一つの“あたゑ”を渡してある。………一人は一人の心定め、百人千人万人でも同じ事やで。………』(M20.10.26 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………囲えの中に居て身の案じという。あちらこちらの道というは寄り難(に)くい。囲えの中というは、何処までも連れて通らにゃならん。心定めて居れば囲えの中の一つの理という。………』(M25.05.18 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………人間我が子までも寿命差し上げ、人を救けたは第一深きの理、これ第一説いて居る。説いて居る中に、救けて貰た人はまめで居る。………』(M32.02.02 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………今の処すっきり止めたと思えば、すっきり掃除。………“ふし”から“ふし”からの芽が出てある。………十分の道と言えば、世界から付けに来る。世界から“ろくじ”という道を付き来る。………』(M21.03.09 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………天という見通しの理の上を越そと思うても、越さりゃせん。一人二人で足場無しで登れるか。よう思やんしてみよ。台という理分からねば、何処から登ろうと思ても登られん。………』(M31.02.27 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………元々は難渋ではなかったけれども、有る物もやって了(しも)うた。難儀不自由からやなけにゃ人の難儀不自由は分からん。一寸(ちょっと)ほのかに覚えて居にゃならん。………』(M23.06.12 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『理のある限り神の“さしづ”の理は変わらん。………何が間違う、こうが間違う思う心が間違う。………皆分からんで、日々苦労して居る。それはどうしたさかいにどう、こうしたさかいにどう、という理は無い。医者の手余り捨てもの救けるが、神の“たすけ”という。』(M29.05.01 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『さあ/\何か心に掛ける事は要らん。それは寄り来る心ある。他に一つの心分からん/\。………何処にどのよの者。恩を重なり/\どうもならん。心に掛かる。出け心でない。あちらこちら日々の処、恩を重なる事をして置くで居る。』(M24.07.26 おさしづ〔神様のお言葉〕)

註)盗難にあった方が、おさしづをいただかれた。盗難にあうということは、物が大切な物ほど命にかかわることを大難を小難(身代わり)にご守護いただいたのであり、また盗んだ人も出来心からではなく、因縁が出たものなのだと言うことのようです。



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