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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『………満足々々安心々々気の養いさゝにゃならんというは、これまで何度何度も聞かしてある。人間の心から満足安心、気の養い楽しみの理でなか/\長の年限通してある。二三年の間、ならん中叩き/\て通してある。これ分からねばどうもならん。さあ/\話々々、よう聞き分け。蝶や花のようと言うて育てる中、蝶や花と言うも息一筋が蝶や花である。これより一つの理は無い程に。いかなる事も聞き分け。長い間といえども短い間や。これ一つよう聞き分けてくれ。』(M27.03.18 おさしづ〔神様のお言葉〕)


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『………日々という。遠く所より又年の寄らん者一寸や。若い者寄り来る処厄介、世界から見れば厄介。なれど道から厄介ではない。道から十分大切。道は遠かろが言わん。“たすけ一条”と言う。これ聞き分け。十のもので九つ半大切して、半分だけ出けん。十のもの半の理で九つ半まで消す。よう聞き分け。喜ぶ者は少ない。成る事情“いんねん”である。“いんねん”というは面倒いなる者も寄せる寄せる。皆運ばすも同じ理、出て救けるも内々で救けるも同じ理、“いんねん”ならどんな者も“いんねん”。道の処は重々掛かり、これから先掛かりの者そこで入り込む。年の行かん者我子より大切、そうしたなら、世界からどういう大きい事に成るやら知らん。すれば、そんだら何が間違うてある。日々という、言葉一つという、これ聞き分けてくれるよう。』(M26.06.19 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『………どんな理も諭し、成るも成らんもいんねん。いんねん聞き分けて定めるなら、一時定めてくれ。いんねんという、余程定め難くい世上において人々中という、いんねんという理定める者少ない。一代二代三代替わり/\、これ聞き分け。又先々生まれ更わりという事情。たゞいんねんというだけ聞いて、どういう理でなるという、これ分かりた者は無い。生涯末代と言うて、無くなるも“いんねん”、生涯安楽楽しんで暮らすも“いんねん”。皆同じように成るは“いんねん”。そこで、すっきり美しい洗い切りて暮らさしたいは、“いんねん”の理にあるのや。そこで“いんねん”聞き分け。』(M25.07.04 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『……多くの中に澄んで/\早く汲みに来んかいなと、水を澄まして待って居る。これは千日の間に出来たのや。それぞれ話、濁った水の所では、一夜の宿も取れようまい。澄まして居るからそれ出来る。わしが“におい”を掛けた、これは俺が弘めたのや、と言う。これも一つの理なれど、待っているから一つの理も伝わる。………』(M25.06.04 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『……………善い事すれば善い理が回る、悪しきは悪しきの理が回る。善い事も切りが無 けねば、悪しき事も切りが無い。………理は見えねど、皆帳面に付けてあるも同じ事、月々年々余(あま)れば返(かえ)す、足(た)らねば貰(もら)う。平均勘定はちゃんと付く。この道は聞き分け一つで 治まった。皆話を聞き分けば皆分かる、めん/\の理が現われる。………』(M25.01.13 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『……………陰から尽す理は十分受け取る。人の事の理はどれくらい思えども受け取れん。めん/\尽すだけはめん/\。内々いろ/\心ある。事情いろ/\ある。一寸理では大きい事情治まりてある。多く事情に世情の理、めん/\一人幾重の事情に、長くは先の楽しみ、短いは楽しみ無し。これ俄(にわ)かに咲く花は、切って来て床へ挿してあるも同じ事。これは“のじ”の無いものである。さあ/\これ根のある花は遅なる。なれども年々咲く。又枝に枝が栄える。根も踏ん張る。こゝの道理をよう思案してみよ。さあ/\身上はすっきり案じることはないで。』(M24.11.01 おさしづ〔神様のお言葉〕)

※俄かに=急に、突然に、“のじ”のない=ちゃんとした下地がない、長持ちしない

『………この所は親里………。遥(は)る/\゛遠くの所から出て来れば、暑ければ暑かったであろう。寒かったら寒かったであろうなあ、という。麦という、麦に太白を入れて、何でも一寸(ちょっと)々々出さねばならん。………満足さすが親の理………。』(M23.06.23 おさしづ〔神様のお言葉〕)

※ここで言われる麦とは、大麦をひいた“はったい”粉のことで、太白とは白砂糖のことです。(ひろ)

『………慎みが理や、慎みが道や。慎みが世界第一の理、慎みが往還や程に。これ一つ諭し置こう。』(M25.01.14 おさしづ〔神様のお言葉〕)

※昨日のおさしづの中の“竜頭”とは、昔の時計の竜頭(りゅうず)というものから、来ているようですが、意味合いは「肝心要なもの」=「肝心要な者」ということで、家庭にあっては家長、教会にあっては教会長ということになります。(ひろ)


『………そこで日々の処身上に切なみ回って了(しま)う。そんならその者に迫ればよいようなものや。なれど一つの竜頭(りゅうず)に皆掛かる。………』(M23.06.20 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『………身の不自由、不自由の勤(つとめ)が“こうのう”の理という。よく聞き分けさゝにゃならん。暫(しばら)くという。身の不自由は行(ぎょう)。よう聞き分け。身の行は心に理を持って通るであろう。不自由々々々日々に“こうのう”尽す“あたゑ”。身の不自由が“こうのう”/\の理をよく聞き分けささにゃならん。』(M22.10.29 おさしづ〔神様のお言葉〕)





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