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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\尋ねる処、さあ/\身上事情以て尋ねる。身上どういう事であろう。一時身上一寸迫り切る。案じる事であろう。どうで道に朝に曇り、昼になればやれ/\と言う。第一一時道に急いたとて通れるものじゃない。他に事情持って楽しむ事情、どれだけ急いたとて成るものじゃない。心を治めて居る。日々年限鮮やか。一日の日早く心の治め方、取り方、身の事情大層、一つ諭し置く。一つには元に一つの事情鮮やかの理を世界と言う、日々と言う。これはどう、どう成る道の理がある。早く聞き取らにゃならん。めん/\こうと言う、世界どう、他に事情持って治め。鮮やか一時早く諭してくれるよう。』(M26.01.17 おさしづ〔神様のお言葉〕)


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この話は、中国の古い書物「淮南子(えなんじ)」に書かれています。
これは、「人間(じんかん)万事(ばんじ)、塞翁(さいおう)が馬(うま)」と読み、「人間(世間の)万事(すべての出来事は)、塞翁が(さいおうの)馬(うまの如し)」という意味です。ちなみに「塞翁」というのは、城塞に住んでいる「翁(おきな)=老人」という意味です。

城塞に住む老人の馬がもたらした運命は、福(ふく)から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福(ふく)へと人生に変化をもたらした。まったく禍福というのは予測できないものであるという事です。また、「吉凶禍福はあざなえる縄の如し」という格言とも同じような意味合いです。

※天理的に本当の意味においては、人間には前生の因縁というものがあり、神様はその人の因縁に応じて、一見不幸や辛い生活及び事故や病気を通して、心の入れ替えを促し、悪い因縁を納消させて善い因縁に切り替えていただいているということを表した見事な格言であり『天理』であると思います。又、その他にも諺(ことわざ)や古くから言い伝えられている格言なども、やはり『天理』を表していると思われます。
特に、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という格言がありますが、これを『身を捨ててこそ立つ瀬がある』というふうに、愛町分教会初代会長関根豊松先生が、よくおっしゃられていたようです。
後、「情けは人の為ならず」、「人事を尽くして天命を待つ」、「実るほど頭(こうべ)を垂(た)れる稲穂かな」ということなども、ゆらぐことのない『真理 』であり、『天理』なのだと思います。(^0_0^)

ひろ

中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。

「このことが、幸福にならないとも限らないよ。」

そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。

「このことが、災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。

「このことが、幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

つづく



昨年の8月の末に、僕自身を証明するすべてのものが、カバンごと消えて無くなってから、昨年の11月17日~12月18日、そして、今年に入って、1月19日~3月5日までの入院、そして、やっとどうにかこうにか動けるようにならせていただいていました。
ところが、3月22日の夜、お風呂で手がすべって、肋骨を骨折してしまい、家では動くことさえままならないので、再び入院させていただいています。(((^_^;)

普段は、足が不自由なんですが、車椅子に乗って自動車でどこでも行かせていただくことが出来ていました。しかし、肋骨を骨折して寝たきりみたいになってしまうと、たとえ足が不自由でも自由に動かせていただけることの有り難さを身を持って体験させていただき、“かしもの・かりものの理”を再認識させていただくことが出来ました!!(^0_0^)

ひろ



『さあ/\分からん/\、何にも分からん。百十五才、九十才、これも分からん。二十五年不足、どうであろう。これも分からん。どうしても、こうしてもすうきり分からん。故に二十五年を縮め、たすけを急ぎ、扉を開いて世界をろくぢに踏み均らしに出た。神でのうてこの自由自在は出けようまい。………違々刻限話をする。』(M20.02.24 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\分からん/\、何にも分からん。百十五才、九十才、これも分からん。二十五年不足、どうであろう。これも分からん。どうしても、こうしてもすうきり分からん。故に二十五年を縮め、たすけを急ぎ、扉を開いて世界をろくぢに踏み均らしに出た。神でのうてこの自由自在は出けようまい。止めるに止められまい。神は一寸も違うた事は言わん。よう聞き分けてくれ。これから先というは、何を聞いても、どのよの事を見ても、皆楽しみばかり。楽しみや。よう聞き分け。追々刻限話をする。』(M20.02.20 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\何放っといても、一日も早く心の休まるよう、皆々話せにゃならんで。一二三と言う。一と言うたら一、二と言うたら二、三と言うたら三、一つ/\組むようなもの。成程という理治まれば十分神が守護する。これだけ働き守護、皆知って居る。人間心と思うては違う。人間業では出来やせん。あら勝手じゃあら人間心じゃ。人間心は更々無い、日々心の面白い話も茶話事も言うたりさしてある。心というものは、皆んな神が守護してある。これよう聞き分け。』(M39.05.20 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\尋ねる事情/\、身上一つの事情、長らえて事情、いかな事と思い/\日は経つ。いかな事も諭する一つの理身上迫る。一時ならぬ身上は大層なれど、一時ではない。何かの処、よう聞き分け。長らえてどういう事でと思い/\皆々家内一つの理を諭しよう。長らえて年限の日、今日まで居る。内々何たる事でと思うであろう。道という理を心に持って、成らん/\の日もある。何でなるとは更に持たずして、皆諭の中に籠りある。この理諭し置く。為す事成ろうと言うても成ろまい一つの理、成るまいと言うても成って来る一つの理、いかな理も治め来れば又々の日もある。何で成るとは更に持たず、これだけ年限の中、これだけなあ思うやない。成っても成らいでも道という理を心に治めてくれ。』(M39.08.17 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\長らえて/\常という心を映し通りたる処、なか/\の年限尽した理は、何処へも行かせん。十分治まりたる。さあそうしたら身上どう思う、よう聞き分け。いかな事も聞き分け。十分働いた理は、しいかり受け取ってある。受け取った理に、身上これなるはどういう事であろうと思う。そら思うやない。さあ身上大層なれど、一時どうとはない。尽した中にこういう事と思う思う処取り直し、心改め替え、さあ不足は思うまいなれど、身上不足からつい思う。さあよう聞き分け。身上不足なりて何のたんのうは出けやせん。なれど、不足中たんのうは前生いんねんのさんげと言う。尽した理は何処へも行きやせん、心迷うやない。迷うてはならん。よう聞き分け。ほんにこんな事やったかいなあと取り直し、不足思うやない。身上不足中たんのう出けやせん。不足中たんのうは前生さんげえと言う。皆の中も同じ事やで。これをよう心取り直して改め替え。さあこれだけ諭し置こう。(M39.05.03 おさしづ〔神様のお言葉〕)


『さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上に掛かりていかなものと皆々思う/\。一日の日尋ねる事情は余儀無く事情である。皆道の中の理幾重中皆々籠もりあるであろ。さあ身上に掛かる処、いかなものいかな事と思う。そら思うやない/\。よう聞き分け。この道は大抵で出けた道やない。これまで一日の日にとってどうなろうと思うた日もあろう。この事思えば、どんな事も楽しんで永く心持って急いてはならん。年限思わにゃならん。年限の中に、どんな事もこんな事も思う事あろ。そら、思うてはならん。一代と思うてはならん。いかな事も思うて、どんな事も取り直せ。道の初めはどんな事も分からん。道これまでとんと分かりて分からん。皆ならん中から出て来るは理と言う。皆心永く心持ってくれ。身上から尋ねたら、こういうさしづありたと。急えてはならん。生まれ更わり、生まれ更わり/\まで聞き分けて楽しんでくれるなら、長く事であろ。長く理であろ。運んだ理のこうのうは、末代の理と思うてくれ。。身上案じる事要らん。目は台と言う。根と言う。どんな事も急えては
ならん、急えてはいかん。道は永く心繋ぎ、永く心持って楽しんでくれるよう。身上は案じる事要らん、すっき
り案じてはならん。』(M36.02.10 おさしづ〔神様のお言葉〕)




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