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僕は、四年前にもう無い命を天理教の神様に救けていただきました。その御礼とご恩報じのひのきしんとして毎日、天理教の御教えや体験談などのブログを書かせていただいています。(このブログは、『○天理教よふぼくの集い●』のコピー日記です。)
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『さあ/\心は今日生まれた人の心に替えて了え。生まれ児には思わく無い。さあさあこの事情から年限は未だ/\ 。』(M40.01.16 おさしづ〔神様のお言葉〕)



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『………これから先という、何よの事もいつ/\さしづに、こういう事あったどういう事あったと、順序一つこれ心得てくれ。何がいかん彼がいかんとは言わん。さあ身上案じる事は要らん。よう聞き分け。いつ/\まで連れて通りたいから、楽しみの理やで。さしづは神の理やで。いつ/\さしづにこういう事あった、どういう事あった、ほんにそうかいなあと、さしづに間違いは無いなあと、さしづから心に一つ大き心含んでくれ。身上案じる事要らん。こういう際にこういう事とは不思議やなあ、いつ/\心得事情である。放って置くに放って置かれん。日も何程も無い。身上何でも彼でも清水でなくばならん。これから心得。さしづは一つも違わんなれど、取りよが違うから間違うで。さあ/\身上案じる事要らん。 』(M39.02.13 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『さあ/\尋ねる事情/\、身上一つ心の理一つ尋ねる。尋ねるには、皆々一つ事情、前々理諭し置くによって、一つよう聞き分けにゃ分からん。どういう事でこうなる、こうなると思う処、尋ねる。一つ事情鮮やか諭し置こう。心に皆々ほんにそうである、と心に定め、一つ定めてくれ。身上なあ、と思う。身上、これからという心持ってくれにゃならん。身上に不足なりて、楽しみありゃせん。楽しみは、心に屈託無いが楽しみ、心になあ速やかゞ楽しと言う。事情諭するによりて、皆々中の一つ理、皆々寄り合うた中の一つ理、日々勤めて居る。見分け聞き分けてくれにゃ、分からん/\。善い事するは当たり前である/\。又々一つ、一寸心よう聞き分けてくれ聞き分けてくれ。一人でいかん、二人でいかん、三人一つ理立ち寄りて、さあさあ一つ心を休めるが十分の理、と諭し置こう。 』(M38.03.14 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『さあ/\尋ねる事情/\、さあ身上一条いかなる事情であろうと、一つ尋ねにゃならんから尋ねる。尋ねるからは、又一つ順序の理を諭し置く。よく聞き分けにゃ分かり難ないで。身上不足なれば、いかな心も沸くであろ。これ心に掛かるやろう。これだけこうして居る、どうして居る。遙かにと思う。いかな事も聞き分けにゃならん。難儀さそう不自由さそうという親、有るか無いか聞き分け。こゝ一つ思やんとして、心に矯め直すがよい。これまで尽した理運んだ理は、皆受け取ってある。そんならどうと又思う。救けにゃならん、救からにゃならんが一つ理。この一つの中に身上長らえと言えば、いかな心も沸くであろう。どういう心も沸くであろ。なれど、よう聞き分け。人間は一代、一代と思えば何でもない。なれど、尽した理働いた理は、生涯末代の理である。この道と世界先々理と、理を聞き分け。道に一つ一つ諭すかりもの聞き分け。かりものという処から、一つ心定めてみよ。そんなら身上どうと言う。一時ではない。なれど大層、成っても成らいでもという、一つ心に治め。
日々通る尽す一時の心は、皆受け取ってある程に。どんな理も皆受け取ってある程に。』(M37.03.03 おさし
テ〔神様のお言葉〕)



『一人から何処までも皆心ある。どうせにゃいかん、こうせにゃいかんとは言わん。皆遠く所から厭わずして来る心だけ受け取って、十分満足与えてやらにゃならん。満足すれば一所やない。世界に映る。不足で行く/\すれば、理が消えて了う。何処までも皆々満足集まって道と言う。これだけ一寸話して置こう。満足十分さしてやってくれにゃならん。満足の理から芽が吹くで。これをよく聞き分けてくれ。足集まって道と言う。これだけ一寸話して置こう。満足十分さしてやってくれにゃならん。満足の理から芽が吹くで。これをよく聞き分けてくれ。』(M37.02.06 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『皆ならん中から出て来るは理と言う。皆心永く心持ってくれ。身上から尋ねたら、こういうさしづありたと。急えてはならん。生まれ更わり、生まれ更わり/\まで聞き分けて楽しんでくれるなら、長く事であろ。長く理であろ。運んだ理のこうのうは、末代の理と思うてくれ。身上案じる事要らん。目は台と言う。根と言う。どんな事も急えてはならん、急えてはいかん。道は永く心繋ぎ、永く心持って楽しんでくれるよう。身上は案じる事要らん、すっきり案じてはならん。』(M36.02.11 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『さあ/\尋ねる事情/\事情は余儀無く事情であろ/\。もう一時の処どうでもこうでもならん心、なろうと言うてならん。これは理であろ。さあこれからしいかり聞き分け。さあ一つ分けてやったるもの、要らんと言うものは、直ぐに持って帰るがよい。さあ心置き無う/\。』(M35.01.09 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『さあ/\尋ねる事情/\尋ねる事情には皆それ/\心というものある/\。なれど、一つという、年限という、人の年限の心という。まあそのまゝじいと、いずれいずれの日を楽しましてくれるよう。』(M34.01.18 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『万事の処どういう処尋ねるやら分からん。尋ねたら心という理を以て、多く処いろ/\理以て防がにゃならん/\。無い道始め掛ける。怖わいような事は無い。怖わいような心で、末代という道通れん。百年先の道、今日始めるも同じ事。この心持って、臨機応変と諭したる。万人の中一人以て防ぐは神の力、神の理。 』(M33.01.04 おさしづ〔神様のお言葉〕)



『さあ/\尋ねる処/\、道理というもの諭す。まあこれ軽きというは軽き、重きというは重き道理になる。一時何度々々、どうも面倒出ける。どういう理皆談示の中に道理結んでくれ。結んでくれにゃならん。 』(M33.01.04 おさしづ〔神様のお言葉〕)





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